アルメニア共和国
 
<アルメニア共和国の地図>
   


<アルメニア共和国の基本データ>

首都      エレバン
人口      300万人(2004年)
面積      2.9万km2
主民族     アルメニア系93%
         アゼルバイジャン系3%
         ロシア系2%
主言語     アルメニア語96%
         ロシア語2%
主宗教     キリスト教アルメニア正教94%
宗主国     ソビエト社会主義共和国連邦
独立      1991年9月23日
通貨      ドラム
気候      Df
主要都市   エレバン、ギュムリ、バナゾール(以上、人口順)



<アルメニア共和国の地勢>
高原の国家

平均標高約1800mの高原で、国土の90%は標高1000m以上である。
気候は、Dfが中心であるが、低地ほど乾燥しており、BSも見られる。
北はグルジア、東はアゼルバイジャン、南はイランとアゼルバイジャンの飛地、西はトルコと国境を接する。



<アルメニア共和国の都市>
エレバン
首都。古代の古文書を多く収蔵したマテナダラン博物館など学術・文化都市。
高級ブランデーコニャックの産地。
エレバンとはペルシア帝国の族長レバンに由来。



<アルメニア共和国の歴史>
複雑な支配の歴史から生まれた独自路線により孤立を深め、鎖国政策を展開

B.C. 1世紀  大アルメニア王国が成立
B.C. 67年  ローマ帝国に征服される
   303年  アルサケス朝ティリダテス3世がキリスト教に改宗。世界最初のキリスト教国となる
   11世紀  セルジューク朝トルコの侵略により、アルメニア人が故国を追われる
  1894年  トルコによる虐殺が行われる(1896年まで)
  1915年  トルコによる虐殺が行われる(1923年まで)
  1918年  グルジア・アゼルバイジャンと共にザカフカス連邦を樹立
  1922年  ザカフカス連邦から独立を宣言。ソビエト連邦に加盟
  1936年  ソビエト連邦の構成共和国となる
  1988年  アルメニア大地震
  1989年  アゼルバイジャン領ナゴルノカラバフの領有を宣言
  1991年  ソビエト連邦から独立
  1993年  ナゴルノカラバフとその周辺地域を掌握
  1995年  アゼルバイジャン領土の20%を掌握



<アルメニア共和国の著名人>
アンドレ・アガシ(テニス選手。アメリカ合衆国出身だが、アルメニア系)



<アルメニア共和国のあれこれ>
世界一商才に長けた民族
アルメニア人は世界中に住んでおり、その商才は「3人のユダヤ人がいても1人のアルメニア人に敵わない」
と言われるほどである。

ナゴルノ・カラバフ問題
アゼルバイジャン南西部の「ナゴルノ・カラバフ自治州」は国家全体の中で90%を占めるアゼルバイジャン人が21%と少なく、
アルメニア人が76%を占めるため、アルメニア人によるナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニアへの帰属替え運動が続いている。
自治州として発足したのは1923年(当時はアルメニア人が90%以上を占めた)で、当時からアルメニアとの間に帰属問題を起こしていた。
1980年代後半には、ペレストロイカの影響でアルメニア人が帰属替えの運動を再燃させ、1988年、拒否するアゼルバイジャンと
衝突(スムガイト事件)。その後も何度となく衝突を繰り返している。


処女信仰
アルメニアは『処女信仰」が非常に強く、婚前交渉はまずない。
この考え方は男女共通のものであり、一般的である。

荒涼とした乾燥地
気候こそDf(冷帯湿潤気候)だが、半乾燥地域で土地は荒涼としている。
現在、国家全体で灌漑事業を行っており、あわせて植樹も行っているため、今後耕地へと変貌を遂げる見込みである。

世界初のキリスト教国家
301年、キリスト教を国教とし、世界初のキリスト教国家となった。
しかし、現在のアルメニアは特別信仰の強い国ではなく、宗教を否定もしないが、それが生活の重要なものとはなっていない。



TOP PAGE に戻る


inserted by FC2 system